文:野呂 昶
制作:立命館大学DAISY研究会
ある山ざとに、まずしい のうかの ふうふが すんでいました。
二人は とても はたらきもので したが、いしころ ばかりの あれちで、さくもつは すこししか とれません。
生きて いくのが、やっとという くらしでした。
ところが、あるとき、この ふうふに 赤ちゃんが 生まれました。
目はなだちの くっきりした 男の 子で、とても 大きな こえで なきました。
「なんと げん気な 子だろう。」
二人は、かおを 見あわせて 大よろこびしました。

その あくるあさの こと、いえの とを トントンと、たたく ものが います。
だれだろうと おもって、とを あけると、金いろを した ぞうの 赤ちゃんが たっていました。

あたりを 見まわしても、おやの すがたは ありません。
そこで ふうふは、この ぞうの 赤ちゃんを かぞくに くわえて、くらすことに しました。
まずしい くらしが、ますます まずしく なりました。
ところが、ある日の こと。
男が にわに 出ると、ぞうが ふんを しています。
その ふんが、みるみる 金かに かわったのです。

「なんと ふしぎなことが あるものだ」
男は、びっくりして、およめさんを よびに はしりました。
まずしい ふうふは、いっぺんに お金もちに なりました。
さっそく、大きな いえを たて、ぞうの 赤ちゃんにも、へやを あてがいました。
男の 子が 大きくなるにつれ、ぞうも おおきくなり、やがて、どちらも、りっぱな 大人に なりました。
この わかものと、まぶしいまでに かがやく、金いろの ぞうの うわさは、やがて くにじゅうに ひろがっていきました。
くにじゅうの 人びとが、見がくに おとずれるように なりました。
ひるとなく よるとなく、この かぞくの まわりは、人で いっぱいに なりました。
その さわがしいこと、にぎやかな こと。
はたけに 出て はたらくことも、いえで ゆっくり 休むことも できません。
それで やむなく、わかものと ぞうは、よるおそく、そっと いえを ぬけ出し、たびに 出ることに しました。
ところが、たびに 出ても、いく先、つく先、人びとが あつまってきました。
金いろの ぞうを 見たいだけでなく、その ふんの 金かを ひろおうと、やってくるのです。
わかものと ぞうは、すっかり つかれきって しまいました。
ちょうど そのとき、その ちかくの ぎおんしょうじゃに、おしゃかさまが いらっしゃるという、うわさを 耳に しました。
おしゃかさまの おしえは、小さい ころから よくきいて、一どで いいから おあいしたいものだ と ねがっていました。
わかものと ぞうは、のがれるように、ぎおんしょうじゃを たずねました。
ふかい 森は、しーんとして、小とりの こえの ほかは、なんの ものおとも しません。
一本の ほそい みちが 木もれびに てらされて、森の おくへと つづいていました。
やがて、小さな ひろばに 出ると、そこに、おしゃかさまが たって おられました。

わかものは、あわてて ぞうの せ中から おりると、ひざまづいて あたまを 下げました。
「やあ よくきたね。
じつは、あなたが くるのを まっていたのです。
あなたには、ほとけの おしえを おおくの 人びとに、つたえる やく目が ある。
それは、生まれる まえから きまっていたのです。」
おしゃかさまは、手を さしのべる ようにして、いわれました。
なんと やさしい、あたたかな こえで しょう。
わかものは おもわず 「はい」と こたえていました。
なぜだか わかりません。
いままで さがしていた みちが、やっと 見つかったような 気が したのです。
そして、こころの そこから、ふくふくと よろこびが、わいてくるのを おぼえました。
ふと 気が つくと、生まれてから いままで、たえずいっしょに くらしてきた、
金いろの ぞうの すがたが、かきけすように、見えなくなっていました。
出典 賢愚軽