こえかつぎ ニダイ

文(ぶん):野呂(のろ) 昶(さかん)

制作(せいさく):立命館(りつめいかん)大学(だいがく)DAISY研究(けんきゅう)会(かい)



ニダイは、いつも 大(おお)きな つぼを、せ中(なか)に かついで あるいて いました。

町(まち)の 大(おお)どおりを さける ようにして、小(ちい)さな みちを えらんで、まえかがみに おずおずと あるいて いました。

ニダイが とおると、むーんと はなを つく、くさい においが しました。

人(ひと)びとは そのすがたを 見(み)ると、かおを そむけ、さける ようにして とおって いきました。

ニダイは、町(まち)の いえいえから、大(だい)べんや小(しょう)べんをあつめ、町(まち)の はずれまで はこぶしごとを していました。

くさい においは、つぼからだけ でなく、こしに まいた ぬのからも、からだぜんたいから 出(で)ていました。

あさから ばんまで、くる日(ひ)も くる日(ひ)も、この しごとを つ づけて いるうちに、からだに しみついて しまったのです。


ニダイは、じぶんだけに きこえる こえで、

「すまない。」「すまない。」
と、つぶやき ながら あるいていました。

人(ひと)びとに くさい おもいを させて、ほんとうに すまないと、おもっていた のです。

ある日(ひ)の こと、小(ちい)さな とおりを、いそぎ 足(あし)で あるいていると、
むこうから 一人(ひとり)の おぼうさんが やってくるのに 出(で)あいました。

なんとも いえない やさしい おかお、気(け)だかい おすがたに、一目(ひとめ)で

(この かたは、きっと おしゃかさまに ちがいない。)
と おもいました。

ニダイは、ずっと まえから、一(いち)どで いいから おしゃかさまに おあいしたい、

おはなしを おききしたい、とねがって いました。

じぶんの この しごとが、ほんとうに 人(ひと)びとの やくに たっている のだろうか、まよって いたのです。

(なんと いう しあわせだろう。)
ニダイの むねは、ドキドキと たかなりました。

でもすぐ、「いや、いけない」とおもいなおしました。

おしゃかさまの あとを、十(じゅう)人(にん)ばかりの おで子(し)が、ついて あるいてきます。

(こんな とうとい かたたちに、じぶんの この くさい においを かがせては いけない。)


ニダイは、いそいで みちを ひきかえし、べつの ほそい とおりに かけこみました。

ところが、どうしたこと でしょう。

とおりの むこうから、さっきと おなじ、おしゃかさまの 一(いっ)こうが、にこやかな ほほえみを うかべながら、
こちらに やって こられるのです。

ニダイは、あわてて、べつの みちに さけました。

そして、にげるように 大(おお)またで あるいていると、その むこうから、
やはり おなじ おしゃかさまの 一(いっ)こうが、やって こられるのに 出(で)あいました。

あまりの ふしぎさに、ニダイは、ぶるぶる ふるえ、そこに すわりこんで しまいました。

おしゃかさまは、ゆっくりと ちかづいて こられると、

「どうして にげるのだね。」
と、こえを かけられました。

(なんと やさしい、あたたかな おこえだろう。)


ニダイは、おもわず、ひざまづくと、あたまを ふかく 下(さ)げました。

すると、せ中(なか)の つぼから、べんが どっと ながれ出(だ)し、ニダイの あたまから からだぜんたい、べんまみれに なりました。

「ああ、おゆるしください。

ただで さえ、きたない わたしですのに、こんなことに なってしまって。

さあ、おはやく おとおりください。」

ニダイは、からだぜんたいを わなわな ふるわせて いいました。

「ニダイよ、どこが きたないのだね。

わたしは、すこしも きたないとは おもわない。

それよりも おまえの こころは、だれよりも うつくしい。

人(ひと)びとが きらって、いやがる しごとを ひきうけて、もくもくと はたらいている。

こんなに とうとい ことは ない。

さあ、たって、わたしと いっしょに、てらに きなさい。

ほとけさまの はなしを しよう。」

おしゃかさまは、そう いうと、手(て)を さしのべられました。

ニダイは、なみだで かおを くしゃくしゃに して、

「はい」と、こたえました。


出典(しゅってん):大(だい)荘厳(そうごん)論(ろん)経(きょう)