ことのね

文(ぶん):野呂(のろ) 昶(さかん)
制作(せいさく):立命館(りつめいかん)大学(だいがく)DAISY研究(けんきゅう)会(かい)



ことの 名(めい)人(じん)が いました。

その ことの ねの うつくしさと いったら、たとえようが ありません。

きいた 人(ひと)は、うっとりと 天(てん)ごくを ただよっている ような 気(き)もちに なりました。

とりは とぶことを わすれ、花(はな)は 目(め)ざめて、いっそう うつくしく かがやきました。

名(めい)人(じん)は、ことを ひきながら、あちこち たびをして、くらしていました。

ある町(まち)に やってきたとき、ことの 大(だい)すきな 大金(おおがね)もちの いえに まねかれました。

その いえの しゅ人(じん)は、ごちそうを して、名(めい)人(じん)を もてなすと、

「どうか まい日(にち)でも いいから、その ことの ねを きかせてくれ。

おれいは、のぞむだけ 出(だ)させてもらう。」
と いいました。

ほんとうに、名(めい)人(じん)が ことを ひきだすと、いえの 中(なか)は、
いちめんの お花(はな)ばたけに なったように、うつくしく かがやくのでした。

なん日(にち)か たって、名(めい)人(じん)は、いよいよ このいえと おわかれしようと おもい、しゅ人(じん)に いいました。

「おもてなし、ありがとうございました。

おかげで、とても たのしい 日(ひ)びを、おくらせて いただきました。」

すると、しゅ人(じん)は、

「いや、もう 出(で)かけられる のですか。

わたしは、一(いっ)か月(げつ)でも 二(に)か月(げつ)でも、いや一(いち)年(ねん)でも、あなたの ことを きいて いたいんじゃが。

もう すこし とどまって くれないか。

あなたの のぞむものは、なんでも かなえて あげるが。」

と いいました。

「ほんとうに、なんでも かなえて くださるのですか。」

「かなえて あげるとも。」

「それなら。」

名(めい)人(じん)は、すこし かおを 赤(あか)らめて いいました。

「あなたの むすめさんを、およめさんに もらえるなら、一(いち)年(ねん)でも、二(に)年(ねん)でも おらせて もらいます。」

「ふむ。」

しゅ人(じん)は こまりました。

いくら ことが すきでも、かわりに かわいい むすめを よめに やるなんて、

それは できないことだ、と おもったからです。

でも、ある いいことを おもいついて、しゅ人(じん)は、にこやかに いいました。

「いいとも。

むすめを やろう。その かわり、一(いち)年(ねん)のあいだ、あさもひるもよるも、休(やす)まず ことをひきつづけるのだ。」

名(めい)人(じん)は、しばらく かんがえると、いいました。

「もちろん、ひきつづけますとも。

そのかわり、あなたも、わたしの ことを ききつづけてください。」

「よし、わかった。」

しゅ人(じん)は、あいづちを うちました。

名(めい)人(じん)は、ことを ひきはじめました。

しゅ人(じん)は、じっと 耳(みみ)をすませて、きき入(い)りました。

ことの ねは、やさしく、かなしく、あかるく こころに しみ入(い)りました。

このおとを、一(いち)年(ねん)も 二(に)年(ねん)も ききつづけることが できるなんて、

なんと しあわせな ことだろう、と おもいました。

ところが、一日(いちにち)たち、二(ふつ)日(か)たつと、おとが こころに ひびかなく なりました。

一(いっ)しゅうかん たつと、どうしてか、おとが うるさく かんじだしました。

十(とお)日(か)たつと、しゅ人(じん)は、いらいらして、がまんが できなくなり、いいました。

「もう、よい。

やめてくれ。ことは もう こりごりだ。

やくそくどおり、むすめは おまえの よめにしてやる。」

名(めい)人(じん)は、ことを ひく 手(て)を とめると、

「ありがとうございます。

むすめさんは、きっと しあわせにします。」

と、あたまを さげて いいました。

「それにしても・・・」

しゅ人(じん)は、しみじみと いいました。

「人(にん)げんという ものは、それが どんなに うつくしいものでも、かならず あきる。

それが やっと わかったわい。」



出典(しゅってん) 雑(ぞう)譬(ひ)喩(ゆ)経(きょう)