文:野呂 昶
制作:立命館大学DAISY研究会

ある 大きな 町の かたすみに、がっきそうこが ありました。
そこには、こわれて すかえなくなった がっきたちが、くもの すを かぶって、ねむって いました。
あるとき、月が そうこの たかまどから 中を のぞきました。
「おやおや、ここは こわれた がっきの そうこだな。」
そのこえで、いままで ねむっていた がっきたちが 目を さましました。
「いいえ、わたしたちは、こわれてなんか いません。はたらきつかれて、ちょっと 休んで いるんです。」
チェロが まぶしそうに 月を ながめて いいました。
そして、あわてて、ひびわれた せなかを かくしました。
「いやいや、これは どうも しつれい。」
月は、きまりわるそうに、まどから はなれました。
町は、月の ひかりに つつまれて、ぎんいろに かすんでいます。

月が いってしまうと、チェロは、しょんぼりとして いいました。
「わたしは、うそを いって しまった。こわれているのに、こわれていない なんて・・・。」
すると、すぐ よこの ハープが、はんぶんしかない げんを ふるわせて いいました。
「じぶんが こわれた がっきだなんて、だれが おもいたい ものですか。
わたしだって、ゆめの中では、いつも すてきな えんそうを しているわ!」
「ああ、もう一どえんそうが したいなあ・・・。」
ホルンが、すみの ほうから いいました。
「えんそうが したい!!」
トランペットも よこから いいました。
「でも、できないなあ。こんなに こわれてしまって いて、できるはずが ないよ。」
やぶれた たいこが いいました。

「いや、できる かもしれない。いやいや、きっと できる。
たとえば、こわれた 十のがっきで、一つの がっきに なろう。
十が だめなら 十五で、十五が だめなら 二十で、一つの がっきに なるんだ。」
ビオラが いいました。

「それは 名あんだわ。」
ピッコロが いいました。
「それなら ぼくにも できるかも しれない。」
もっきんが はずんだ こえで いいました。
「やろう。」「やろう。」
バイオリンや コントラバス、オーボエ、フルートなども、たち上がって いいました。

がっきたちは、それぞれ あつまって れんしゅうを はじめました。
「もっと やさしいおとを!」
「レと ソは なったぞ。」
「げんを もうちょっと しめて・・・。 うん、いいおとだ。」
「ぼくは ミのおとを ひく。きみは ファのおとを 出して くれないか。」
まい日まい日 れんしゅうが つづけられました。そして、やっと おとが 出ると、
「できた。」「できた。」
おどり 上がって よろこびました。

あるよるの こと、月は、がっきそうこの 上を とおりかかりました。
すると、どこからか おんがくが ながれてきました。
「なんと きれいなおと。だれが えんそうして いるんだろう。」
月は、おとのするほうへ ちかづいて いきました。
それは、まえに のぞいた ことのある がっきそうこから でした。

そこでは、千の がっきが いきいきと、えんそうに む中でした。
こわれた がっきは、一つも ありません。
一つ一つが みんな りっぱな がっきです。
おたがいに 足りないところを おぎないあって、おんがくを つくって いるのです。

月は、おんがくに おし上げられる ように、空たかく 上って いきました。
「ああ、いいなあ。」
月は、うっとりと ききほれました。
そして、ときどき おもい出しては、ひかりの 糸を 大空いっぱいに ふき上げました。
おしまい