いのちの 不思議(ふしぎ)

文(ぶん):野呂(のろ) 昶(さかん) 
制作(せいさく):立命館(りつめいかん)大学(だいがく)DAISY研究(けんきゅう)会(かい)





朝(あさ)の おつとめの あと、若(わか)い お坊(ぼう)さんが、お堂(どう)から 出(で)ようと すると、
きゅうに、うしろから 声(こえ)が かかりました。

「ちょっと 待(ま)ちなさい。」
それは、若(わか)い お坊(ぼう)さんの お師匠(ししょう)に あたる お坊(ぼう)さんでした。

「どうも 気(き)になる、顔(かお)を よく 見(み)せなさい。
ふむ、やっぱり そうか。」
顔(かお)を じっと 眺(なが)めていた お坊(ぼう)さんは、
「お前(まえ)の 顔(かお)には、いのちが あと 七(なの)日(か)しかない、と 出(で)ている。
これは、たいへんな ことだ。
これから すぐ、家(いえ)に帰(かえ)って、ご両親(りょうしん)と 別(わか)れを おしんで くるがいい。
だが、七(なの)日(か)目(め)には、かならず 帰(かえ)って くるんだよ」
と 言(い)いました。

若(わか)い お坊(ぼう)さんは、血(ち)のけが 全身(ぜんしん)から、すっと、引(ひ)いていくのを おぼえました。
(この 若(わか)い わたしが 死(し)ぬなんて)
今(いま)まで 思(おも)っても みない ことで した。
(あと、七(なの)日(か)。)
そう 思(おも)うと、きゅうに 頭(あたま)に 血(ち)が のぼり、胸(むね)が ドキドキして きました。
若(わか)い お坊(ぼう)さんは、いそいで 旅(たび)の したくを すると、寺(てら)を 出(で)ました。

足(あし)は いつしか、かけだして いました。
そうしないと、目(め)の 前(まえ)が、まっ黒(くろ)に なって、倒(たお)れて しまいそうに なるのでした。
石(いし)に つまづきそうになって、はっと 前(まえ)を 見(み)ると、
そこは 小川(おがわ)の 石橋(いしばし)の ところでした。
ゆうべの 雨(あめ)で 水(みず)が あふれ、道(みち)の 上(うえ)を 流(なが)れていました。
衣(ころも)の すそを まくって、渡(わた)ろうと すると、
たくさんの アリたちが、もがきながら、足(あし)に はいあがろうと してきました。
「かわいそうに。」
思(おも)わず、お坊(ぼう)さんは、アリたちを 両手(りょうて)で すくい、
土(つち)の 上(うえ)に 助(たす)けあげました。

アリは、つぎつぎ 流(なが)れて きます。
それを 一(いっ)匹(ぴき)も のがさない ようにして、助(たす)け つづけました。
どれほど 時間(じかん)が たったのか、アリが やっと 流(なが)れて こなくなりました。
若(わか)い お坊(ぼう)さんは、はっとして 腰(こし)を 上(あ)げると、
「アリの いのちを すくえて、よかった。」
はればれとした 気持(きも)ちで 言(い)いました。

どうしてか、さきほどまでの 心(こころ)の みだれが、うその ように 治(おさ)まって いきました。
(さっきまでの わたしは、いったい どうした という のだろう。
わたしは お寺(てら)に あって、いつも 心(こころ)しずかに、自分(じぶん)の ために 生(い)きるのでは なく、
人(ひと)の ために 生(い)きるように、教(おそ)わって いるのに。
ああ、わたしの すべては、仏(ほとけ)さまに おまかせしよう。)

若(わか)い お坊(ぼう)さんは、ゆっくりと、家(いえ)へ むけて 歩(ある)いて いきました。

家(いえ)に帰(かえ)って、両親(りょうしん)に そのことを 話(はな)すと、二(ふた)人(り)は おろおろとして、
「そんな バカな ことが あって いいものか。
若(わか)い おまえが、わたしたちより 早(はや)く 死(し)ぬなんて。
わたしたちが かわって やりたい。」
と 泣(な)きながら 言(い)いました。

「いや、わたくしは 仏(ほとけ)さまに、おつかえする 身(み)です。
自分(じぶん)の いのちを、くよくよ 考(かんが)えず、すべてを 仏(ほとけ)さまに おまかせする つもりです。
わたしの ことは、もう 大丈夫(だいじょうぶ)です。」

若(わか)い お坊(ぼう)さんは、六(むい)日(か)間(かん) いつもと すこしも 変(か)わらず、
家(いえ)の てつだいを して すごしました。
そして、七(なの)日(か)目(め)の 朝(あさ)早(はや)く、寺(てら)に 帰(かえ)って いきました。

お寺(てら)に つくと、お師匠(ししょう)の お坊(ぼう)さんは、
「おや、おまえの 顔(かお)から、死(し)の かげが、すっかり 消(き)えて しまっている。
なにか 仏(ほとけ)さまに 喜(よろこ)ばれる、いいことを したに ちがいない。」
と 驚(おどろ)いて 言(い)いました。





出典(しゅってん) 雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)