文:野呂 昶
制作:立命館大学DAISY研究会
木もれ日が、お釈迦さまの 背中を、ちろちろ 泳いでいます。
森の 中は、シーンと しずかです。
お釈迦さまを かこんで、お弟子たちが 十人ばかり、体を やすめていました。
なにせ、長い旅を して、今朝 やっと、この マガダ国の 森に たどり着いたのでした。
さきほど、この 一行を むかえに きた 国王の アジャセが、かたわらに 座っていました。
お釈迦さまの すぐ 後に、コンゴウシュが、金剛の杖を 持って、ひかえていました。
目が 大きく、ぎょろりとして、筋肉の もり上がった 体は、岩の ようでした。

それを 見て、アジャセは、
(あやつの、いかにも 強そうに しているのが、気に いらん。
見せかけだけでは ないのか。
あの 金剛の 杖も、どの くらいの 重さが あるのか、知りたいものだ)と 思いました。
すると、コンゴウシュは、アジャセの 方を 向いて、
「王さま、今 あなたは、この 金剛の 杖が、どの くらいの 重さが あるのか、と 思われましたね。
これは 相手しだいで、重くもなり、軽くもなると いう 杖です。
どうです。
持ち上げて ごらんに なりませんか?」

アジャセは、力には 自信が ありました。
なにせ、インドの 小さな 国だった マガダ国を、あいつぐ 戦争に よって、
インドで もっとも 大きな 国に した 大王でした。
「やって みましょう。」
アジャセは、進み 出て 言いました。
コンゴウシュは、杖を 軽々と 持って、すぐ 前に、どしりと おきました。
アジャセは、杖を にぎりしめると、ぐいと 力を こめて、持ち上げようと しました。
ところが びくとも 動きません。
こんどは、両手で ありったけの 力を こめて、持ち上げようと しましたが、杖は、大地に すいついたように 動きません。
「うむ。」
アジャセの 顔には、みるみる 油汗が にじみ 出てきました。
どうしても 持ち上げられないことが わかると、お釈迦さまに 聞きました。
「わたしは 戦場にあって、今まで 十人の 敵を ひとふりの 刀で、殺したことも あります。
虎と 出会って、首を ひねりつぶしたことも あり、あばれる象と 取りくんで、くみふせたことも あります。
それなのに、この 金剛の杖は、どうして 持ち上げられないのでしょうか?」
お釈迦さまは、にこやかに 言われました。
「それは 杖が、それほど 重いと いうだけのことです。
気に することは ありません。」
それでも、アジャセは、すっかり 気落ちして、自分の 席に もどりました。
と、すぐ横に 帝釈天が、あわれみの 目で 自分の すがたを ながめているのに、気づきました。
アジャセは、むっとして 言いました。
「あなたは、天の 神々の 中でも、名の 聞こえた 力持ちです。
どうか この 杖を 持ち上げて、わたしに 見せてください。」
帝釈天は、(ははん、こやつは、わしが 失敗するのを 願って 言っているな)と 思いました。
すると、金剛の 杖を 軽々と 持ち上げて、アジャセを おどろかせてやろう、という気持が 起こりました。
「よし、やってみましょう。」
帝釈天は、立ち 上がりました。
帝釈天は、金剛の杖に 軽く 手をあてました。
それから、ぐいと 力を 入れました。
ところが 杖は びくとも 動きません。
ありったけの力を こめましたが、それでも 動きません。
みるみる 顔が まっ赤に なって、どなるように 言いました。
「これは おかしい。
わしは、天の 荒ぶる 神々と たたかって、一度も 負けたことが ない。
アシュラの 乗っていた 戦車を、ひっつかんで 風車の ように、くるくる 回して 投げ捨てたことも あるし、
シュミセンの 峰々を 引っこぬいて、海の中に 島を つくったことも ある。
この わしの 力で 持ち上げられないとしたら、だれかが 大きな力で、動かないように しているに ちがいない。」
らんらんと 光る 大きな 金色の 目を、お釈迦さまの 方へ 向けました。
「いやいや、そんなことはない。
金剛の 杖は、それほど までに 重いというだけのことです。」
お釈迦さまは、言いました。
帝釈天は、くやしくて たまりません。
すぐ 近くにいる モッケンレンに、はらだちまぎれに 言いました。
「あなたは、お釈迦さまの 弟子の 中で、神通力第一と 言われている。
あなたなら、この 杖を 持ち上げられないことは ありますまい。
やってみて ください。」
すると、みんなも、
「ぜひ 持ち上げてください。」
と 言いました。
モッケンレンは、のり気は しないものの、みんなから 神通力第一と したわれていることも あり、いやとは 言えません。
「では、やってみましょうか。」
前へ 進み出ました。
杖を にぎってみると、持ち上がりそうな 気が します。
それで、「えい」と力 を こめました。
ところが びくとも しません。
両手で 持って、力の かぎり 持ち上げようと しました。
それでも 杖は、動きません。
モッケンレンの ひたいから、汗が したたり 落ちました。
「だめです。できません。」
モッケンレンは、がっくりと 肩を 落としました。
「わたしは 今まで、やろうとして、できなかったことは、何ひとつ ありませんでした。
お釈迦さま、わたしは 神通力が なくなってしまったのでしょうか。」
「いやいや、そんなことは ありません。
ただ それほどに、杖が 重いと いうだけの こと です。」
アジャセ・帝釈天・モッケンレンの三人は、すっかり 気落ちして、小さく なって 座っていました。
すると、お釈迦さまは、コンゴウシュを よんで、杖を 持ち上げるよう、たのみました。
コンゴウシュは、金剛の杖を、まるで 木ぎれでも つかむように、軽く 持ち上げると、
空中を くるくる回し、それから 空高く 投げ上げて、落ちてくるところを、ひょいと つかみました。

お釈迦さまは、それを にこやかに ながめながら、
「この杖は、持つ人の 心の ありようによって、重くも 軽くも なるのです。
アジャセ王は、自分の 力に 自信が ありすぎ、帝釈天は アジャセ王に 自分の 力を、
見せつけて やろうという 下心が あり、モッケンレンは、神通力第一と、
みんなから うやまわれていることに 慢心していた。
だから、金剛の杖は、そうした 心を 感じて、びくとも 動かなかったのです。
どんな 時も、心に にごりが ないよう、つとめることです。」
と 言われました。
出典 賢愚 経