草(くさ)の日笠(ひがさ) 

文(ぶん):野呂(のろ)昶(さかん) 
制作(せいさく):立命館(りつめいかん)大学(だいがく)DAISY研究(けんきゅう)会(かい)



はてしなく つづく 広(ひろ)い 草原(そうげん)の 中(なか)を、十(じゅう)人(にん) ばかりの お釈迦(しゃか)さまの 一行(いっこう)が、歩(ある)いて いました。
暑(あつ)い 夏(なつ)の 太陽(たいよう)が、じりじりと 照(て)りつけています。

お坊(ぼう)さんたちは、頭(あたま)を 衣(ころも)の そでや、手(て)で おおい ながら 歩(ある)いていました。
だれもが、びっしょり 汗(あせ)を かいて いました。
もう 半日(はんにち)あまりも、歩(ある)き つづけて きたのです。
その ようすを、羊(ひつじ)かいの 若者(わかもの)が 見(み)ていました。

羊(ひつじ)の むれが、あちこち ちらばって、草(くさ)を 食(た)べています。

若者(わかもの)は、おやっと いった 顔(かお)つきで、一人(ひとり)の 年(とし)とった お坊(ぼう)さんを 見(み)ました。
よほど つかれている らしく、頭(あたま)を おおうことも せず、前(まえ)かがみに 歩(ある)いていた からです。

「これは いけない。この ままでは、たおれてしまう。」

若者(わかもの)は、そう ひとりごとを 言(い)うと、いそいで 近(ちか)くの 草(くさ)を かりはじめました。
そして、それを 見(み)るまに、笠(かさ)の 形(かたち)に あみあげると、
持(も)っていた 棒(ぼう)を 柄(え)にして、お坊(ぼう)さんの ところへ、走(はし)って いきました。

「暑(あつ)いでしょう。さあ、この 笠(かさ)の 中(なか)に 入(はい)って ください。」
「ありがとう。」
お坊(ぼう)さんは、頭(あたま)を さげて 言(い)いました。

その お坊(ぼう)さんの、なんと やさしい、なんと 神々(こうごう)しい お顔(かお)でしょう。
若者(わかもの)は、今(いま)まで このような お顔(かお)の 人(ひと)に、出会(であ)ったことが ありませんでした。

「こんな そまつな 草(くさ)の 日笠(ひがさ)で 申(もう)しわけ ありません。」

お坊(ぼう)さんは、だまった まま 手(て)を 合(あ)わされました。
若者(わかもの)は、はずむような 気持(きも)ちで、笠(かさ)を さしかけながら、ついて 歩(ある)きました。
人(ひと)の ために、こうして 役立(やくだ)っている ことが、うれしくて ならない のでした。

やがて、太陽(たいよう)が 西(にし)へ かたむき はじめ、日(ひ)ざしが やさしく なって きました。
お坊(ぼう)さんは、立(た)ち 止(ど)まると、
「ありがとう。もう 少(すこ)しで、村(むら)に 着(つ)きます。
この あたりで 帰(かえ)って ください。
あなたの 羊(ひつじ)たちが、待(ま)って いますから。
あなたの おかげで、ここまで、たおれないで 歩(ある)いて これました。」
と 言(い)われました。

そして、笠(かさ)の 柄(え)を もった 若者(わかもの)の 手(て)を、つつむように、しっかりと にぎられました。
若者(わかもの)は、あたたかい ものが、手(て)を 通(とお)して、心(こころ)の 中(なか)に 流(なが)れこんで くるのを 感(かん)じました。
ここまで、ただ むちゅうで、ゆめを 見(み)るように、歩(ある)いて きたのでした。

「はい、そうでした。羊(ひつじ)たちが 待(ま)っています。」

若者(わかもの)は、急(きゅう)に 思(おも)い出(だ)した ように、そう 言(い)うと、
ぺこりと 頭(あたま)を さげ、来(き)た 道(みち)へ 向(む)け 走(はし)りだしました。
おしりが 上下(じょうげ)に ゆれて、まりが はずむ ような 走(はし)り方(かた)でした。

お坊(ぼう)さんは、その すがたを、じっと 見(み)えなくなる まで、見送(みおく)って おられました。

やがて、かたわらの お坊(ぼう)さんに 言(い)われました。
「アーナンダよ。あの 若者(わかもの)の やさしい 心(こころ)こそが、仏(ほとけ)さまの 心(こころ)です。
仏(ほとけ)さまが 今(いま)さっきまで 若者(わかもの)の 心(こころ)の 中(なか)に おられたのだよ。」
「はい。わたしも あの やさしい 若者(わかもの)の 気持(きも)ちに、てらされて、歩(ある)いて おりました。」

その 年(とし)取(と)った お坊(ぼう)さんは お釈迦(しゃか)さまでした。
お釈迦(しゃか)さまは、若者(わかもの)が 走(はし)りさった 草原(そうげん)へむけ 手(て)を 合(あ)わせ、深々(ふかぶか)と 頭(あたま)を 下(さ)げられました。







出典(しゅってん) 菩薩(ぼさつ)本行(ほんぎょう)経(きょう)