なくなった森(もり)

文(ぶん):野呂(のろ) 昶(さかん)
制作(せいさく):立命館(りつめいかん)大学(だいがく)DAISY研究(けんきゅう)会(かい)




昔(むかし)、ある 森(もり)に 夫婦(ふうふ)の 木(き)の 精(せい)が、住(す)んで いました。
樹齢(じゅれい)千年(せんねん)、二(に)千(せん)年(ねん)もの 木(き)が、空(そら)を おおって しげっています。


木(き)の 精(せい)は、何(なん)十(じゅう)メートルもの 木(き)の てっぺんに、 寝(ね)ころんだり、
木(き)から 木(き)へ 飛(と)びうつったり、谷川(たにがわ)で 水(みず)あびしたり、楽(たの)しく くらして いました。
この 森(もり)に おそろしい ライオンや 虎(とら)が 住(す)んで いました。
ライオンたちは、弱(よわ)い うさぎや、鹿(しか)や 牛(うし)を ころして 食(た)べ、
ころされる 生(い)きものたちの 悲(かな)しい 声(こえ)が、たえる ことが ありませんでした。
その ために、人間(にんげん)たちは、だれ 一人(ひとり) この 森(もり)に 近(ちか)づきません でした。

ある 日(ひ)の こと、木(き)の 精(せい)の 妻(つま)が、しみじみと 言(い)いました。
「毎日(まいにち)毎日(まいにち)、弱(よわ)いものが 強(つよ)いものに ころされる。
わたしは、もう 悲(かな)しい 鳴(な)き 声(ごえ)を 聞(き)くのは いやだよ。
どうだね、あんた。ライオンや 虎(とら)を、この 森(もり)から 追(お)い出(だ)して しまっては?
ずいぶん 静(しず)かに なると 思(おも)うんだけど。」
それを 聞(き)いて、夫(おっと)の 木(き)の 精(せい)は、言(い)いました。
「だが、それは 考(かんが)えもの だよ。
あれらが いてくれる おかげで、わしたちの 住(す)まいが 守(まも)られて いるのだ。
いなく なれば、人間(にんげん)たちは、森(もり)の 木(き)を 切(き)り、畑(はたけ)を つくる。 やがて 家(いえ)も たてるだろう。
そう なれば、わしたちは、ここに 住(す)めなく なってしまう。」
「でも、毎日(まいにち)生(い)きものたちが、ころされて いくのを、見(み)て おれないよ。
それに、こんなに 深(ふか)くて 大(おお)きな 森(もり)だもの、なくなる はずは ないよ。」
妻(つま)の 木(き)の 精(せい)は、そう 言(い)うと、さっそく、黒(くろ)く 大(おお)きな ばけものに 姿(すがた)を かえ、
魔法(まほう)の 力(ちから)を ふるって、ライオンや 虎(とら)を 追(お)いはらって しまいました。



さて、しばらくの あいだは、森(もり)は おだやかに なりました。
ところが、それを 知(し)った 人間(にんげん)たちは、つぎつぎ 森(もり)へ やってきて、木(き)を 切(き)りたおし はじめました。
草原(そうげん)は やかれ、谷(たに)は うめられ、 つぎつぎ 畑(はたけ)が 作(つく)られて いきました。
森(もり)は 日(ひ)に日(ひ)に 小(ちい)さく なって いきます。

木(き)の 精(せい)の 夫婦(ふうふ)は、すみかを つぎつぎ 追(お)われて、
「こまった」「こまった」と 頭(あたま)を かかえて いました。
「こう なれば、はずかしい けれど、
となりの 森(もり)へ にげていった ライオンや 虎(とら)たちに、たのんで、帰(かえ)って きて もらうより ほかは ない。」

木(き)の 精(せい)の 夫婦(ふうふ)は、出(で)かけて いきました。
「どうか、わしたちの あやまちを、ゆるしておくれ、
前(まえ)の ように 森(もり)に もどってきて、いっしょに 楽(たの)しく くらそう。」
「人間(にんげん)たちに よって、今(いま)にも 森(もり)は 死(し)んでしまう。
どうか 森(もり)を 助(たす)けるため、もどって きておくれ。」

ところが、ライオンや 虎(とら)たちは、首(くび)を 横(よこ)に ふって 言(い)いました。
「今(いま)では、もう 手(て)おくれです。人間(にんげん)に おそわれ、みなごろしに あうでしょう。」
「いや、今(いま)なら まだ、まにあう。森(もり)は 半分(はんぶん) のこっている。たのむから 帰(かえ)って きておくれ。」
木(き)の 精(せい)の 夫婦(ふうふ)は、頭(あたま)を 地(ち)に つけて、たのみましたが、
ライオンたちは、願(ねが)いを 聞(き)いては くれませんでした。

木(き)の 精(せい)の 夫婦(ふうふ)は、しかたなく、とぼとぼと 森(もり)へ 帰(かえ)って いきました。
それから 半年(はんとし)も たたない うちに、森(もり)の 木(き)は すっかり 切(き)り はらわれ、畑(はたけ)に なり 村(むら)に なりました。
木(き)の 精(せい)の 夫婦(ふうふ)の すがたは、いつとは なく 消(き)えていました。





出典(しゅってん) ジャータカ